どう頑張っても進めないと感じる時には、その進もうとしている方向に進むこと、またはそれに対して頑張ることを止めてみることである。
自分を追い込み煮詰めてしまうと、将来の自分にも影響を与え、生きることそのものが嫌になってしまうからだ。
このような時こそ心に余裕を持たせ、人生は一つのことで終わらないこと、あらゆる方面・角度からも自分を発展・成長させることが出来ることを肝に銘じておきたい。
そして今までやりたかったけれどなかなか出来なかったことや、なんとなく興味が惹かれることに目を向けて、それを行う許可を自分におろしてみよう。
そうすればだんだん明るい気持ちが蘇ってくるだろう。
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なかなか決められない時
物事がなかなか決められないことがある。
これをすることに決めてしまったら、後で後悔することになるかもしれない・・・
しかし決めないでいると、いつまでも心がモヤモヤしてスッキリしない・・・
そのうちに、いつまでも決断できない自分に嫌気がさして、早く決めなければと気持ちばかりが焦るようになるかもしれない。
しかしもしこのような状態になって迷いが拭い去れないのであれば、その決断をすること自体を手放してみると良いかもしれない。
どうしても決められないということは、今決めない方が良い場合が多い。
そもそも今決断しようとしていること自体が、自分の人生にとって無理があるということを象徴しているかもしれない。
そんな時は思い切って別の選択肢を用意することによって、新たな道が開かれることがあるので、今決められないことはとりあえず横に置き、視野を広げていくことをお勧めしたいところである。
特に恋愛においてこのような状況をよく見かけることがあるが、 人はどうしても恋愛をすると、その対象者しか見えなくなる傾向があるので、迷う気持ちが募るようなら、上記のことを心に留めて行動に移していただけたらと思う次第である。
どう頑張っても進めないことがある?
人生にはどう頑張っても前に進めない時がある。
あの手この手を駆使したところで、大した結果が出てこない。それが続けばそんな自分にイライラして自暴自棄になってしまうことだってあるだろう。
それでも無理をして先へ行こうとすれば、心身のバランスを崩してより辛い状態が待っていたりする。
もしこのような状態に陥ってしまったらどうすればよいのだろう?
どうにかする手はないのだろうか?
もうあきらめるしかないのだろうか?
こんな時は、無理に前に進もうとすることを一旦手放し、何が自分をこうさせているのかを探っていきたいところである。
まずこうなってしまう原因として一つ考えられるのは、今まで自分をあまり顧みずに偏ったやり方で物事を続けてきたということである。
例えば人の意見をほとんど聞かずに、自分の考えだけで物事を押し進めてきたり、勉強や仕事ばかりにまっしぐらになっていたり、人に合わせてばかりで自分を主張することが出来なかったということはなかっただろうか?
このように偏ったやり方で物事を続けていると、心や体の陰陽バランスが不調和となり、それを補う必要性が出てきて、どうしても今までのやり方では進めなくなるのである。
また少し言い方を変えれば、ずっと自分の同じ部分だけを使っていたことによりその部分が疲弊してしまい、逆に使っていなかった部分が満たされることなく、『もっと使ってもらわないと息苦しくて仕方ない!』と言われている状態ともいえる。
さてこのような状態に陥ってしまったら、どうしていけば良いのだろう?
次回へ続く
上手くいかない人生から解放されるには?
人生がどう頑張ってもうまくいかない・・・
なぜかいつも望まない結果になってしまう・・・
そのようなことを体験し続けると、気持ちがどんどん落ち込んでしまい、未来に希望が持てなくなることがあるかもしれない。
しかしこのようなことが続くからと言って、人生をあきらめてしまう必要は全くない。
今まで何度探っても見つからなかった解決へのカギは、実は自身の心の内側に必ずあるからだ。
人は12歳位までにその人特有の心のシステム(心の働かせ方)をほぼ完成させてしまう。
それまでどのような人と関わってきたかによって、その心を構成するプログラミンが違ってくる。
癖の悪い人や、無関心な人、乱暴な人、気分の浮き沈みが激しい人と関わってきた人と、心穏やかで安定した人、思いやりのある人、心温かい人と関わってきた人では、全くもって心を構成しているプログラミンが違ってくる。
そういう意味で通常最も影響を与えるのが両親になる。
どんな両親に育てられたのか?
両親とどのような関わりをしてきたのか?
によってその後の人間関係を構築する方法が決まってくる。
自分を十分に認められてきた人と、そうでない人とでは、当然自分自身や他者に対する態度に違いが出る。
前者は自分や他者を基本的に信頼できかつ心がつながりやすいが、後者はそれが出来ず困難を感じることが多くなる。
人生がうまくいかないことから解放されていくには、こうしたところにカギがあり、心の再構成が必要となるのである。
心の再構成を行うためには、やはり人に上手にサポートしてもらうことがベストであろう。
それは友達や、自分の両親にしてもらえるようなことではないかもしれない。
心の渇きが不倫に走らせる?
心の渇きがどうにもならなくて不倫に走る人たちもいる。
不倫をしていると一時的に心を潤すことが出来るかもしれないが、相手はあなたのところではなく、別の場所へと帰っていく。
もしくはあなたが居心地のあまりよくない居場所に戻っていくのかもしれない。
何れにしても不倫関係が長引けば、相手はあなたを一番に思ってくれるとも限らず、どっちつかずの中途半端な立ち位置を味わい続けることになる。
その先には必ずしも幸せな未来が待っているとは限らないし、他人を巻き込むようなドロドロの争いが待っている可能性だってある。
本当は一番に愛されることを望んでいたはずなのに、それを得ることが叶わない現実の中に何故か身を埋めてしまう・・・
どうしてこんなことになってしまうのだろう?
それには心の内側深いところにある『どうせ私は一番には愛されない』『どうせ私をまともに愛してくれる人はいない』という頑なな信念が、あなたの心を見えないところで支配しているからである。
その思いはいつから自分の心の中に定着してしまったのだろう?
それを紐解きその思いを手放そうとしない限り、どんなに相手を変えようとしたところで心の渇きが潤されることは無いだろう。
心の渇きはどこからやってくるの?
心の渇きはどこから生じるのだろうか?
それほど心の渇きを感じない人と、渇いて渇いて仕方ない人では一体何がそんなに違うのだろう?
心の渇きを生じやすい人は、本当は自分にとって必要な心の栄養素を、子供の頃に得ることができず、別のもので代用せざるを得なかった経験をしていることが多い。
例えば、両親が何らかの事情で別の兄弟に付きっきりにならざるを得ない状況があったり、経済的な事情等から必要にして十分な注目を得ることができなかったりすることによって心の渇きが生じやすくなる。
その渇きの代用をゲームやテレビ、また別の兄弟姉妹にきつく当たるなどすることによって潤そうとしたりする。
しかしその代用行為が、自分の心を真に満たしてくれることは無いばかりか、返って自分の心をむしばんでいくことさえある。
しかし人は、本来の心の渇きを潤す方法を獲得できないでいる場合、よっぽどのことが無い限りその代用品を求め続けていくのである。また気づかぬうちに自分の子供にさえも、その代用品の役割をさせていることがあったりする。
実は新たな何かに取り組む度に、人生がいつのまにか本筋からズレてしまい不本意な思いを何度もするのは、このような隠された動機に端を発していることが多いのである。
本来欲しいと思うことに素直になって心を開くことが出来れば、今までの現実が変わっていくこともあるのだけれど・・・
わがままな振る舞いをしたくなるのは?
人は心の内側が乾いていればいるほど、わがままな振る舞いをする傾向がある。
ああでないと嫌!こうでないと嫌!という気持ちが湧いてきて、よく考えればどうでもよいことにこだわるようになることがある。
例えば、どうしてもお酒を飲んでいないといられないとか、どうしても楽しい(快楽的なこと)ことをしていないと気が済まないなどである。
そして乾いた心を補充するために、たくさんの時間とお金と労力を費やすようになる。
しかし本当にそれが心からやりたいことなのだろうか?
それは心の渇きを潤すための一時的な対処療法に過ぎないのではないだろうか?
だとすればそのサイクルが永遠に繰り返され、一時的に潤すことはできても、決して渇きそのものをおさめることは出来ないだろう。
では心の渇きをどうおさめていけば良いのだろうか?
そもそも心の渇きはどうして生じるのだろうか?
次に続く・・・
どうしてそんなに執着するの?
特定の人に執着し、頭ではうまくないとは解っていても、どうしても心のコントロールが効かなくなることがあるのは何故なのだろう?
その心の裏側には、未だ果たせぬ思い(未完結の思い)が心の奥に潜んでいたりする。
本当はもっと甘えたかった母親への思い、本当はもっと頼りたかった父親への思い、本当は仲良くしたかった兄弟・姉妹への思い、どうしても分かり合えなかった昔の恋人、心が通じ合えず離婚に至った夫や妻等々・・・
心の中に果たせなかった思いが大きければ大きいほど、それを満たせそうな相手を見つけて、その人への執着を強くする。
人は意識的にも無意識的にも、心の中で後悔していることや、中途半端に終わっていることに対して、やり直して完結させたいと思うところがある。
元々自分の心を満たせていないのは、どんなことなのだろう?
特定の人に心が執着してしまう時
人間関係の不調和や恋愛などで、どうしても相手に自分の気持ちをもってかれてしまう時は、自分の今やるべきことに集中するか、自然の豊かな場所へ行って2時間位その場所に浸るかすると良い。
心が特定の人に執着するようになるのは、その人との関係性があまり良い傾向ではないことを示している。また自分の心の隙間(寂しさや今までに満たしてあげられなかった心の部分)に必要以上にその人を入れ込んでしまっている可能性もある。
もしそうなってしまったら、一旦その人と距離を置いて、どうしてそうなってしまうのか?
自分の心の内をしっかり見つめ直す時間をとることである。
その原因は、今まで頑張ってきた自分の裏側に置き去りになってしまった(認めてあげられなかった)思いの中にあるのだから・・・
いつまでも悩んでいる自分がイヤ!
いつまでも悩んでいる自分が嫌だと思い、何とかそこから抜け出そうと一生懸命になるも、思考が堂々巡りになってしまい結局どうしてよいのか分からなくなってしまうことがある。
そして実際に自分が何に悩んでいるのかさえも定かではなくりり、焦燥感に心が支配されてしまうことはないだろうか?
もし心がこのような状態になってしまったら、どうすればよいのだろう?
このような時はまず自分が今悩んでいることを、全て紙に書き出してみることである。
それを全て書き出した後に心を落ち着け、その紙を眺めながら自分に対して以下のように問うてみてほしい。
1.そもそも自分は何に躓き、何がクリアーできないでいるのか?
2.その悩みの種はどこにあるのか?
3.その悩みをクリアーするのに自分には何が必要なのか?
このように問うてみても、気づきが得られなかったり、解決策が見えてこない場合は、一旦しばらく時間を置いてみるか、誰か頼れる人に相談してみることをお勧めしたい。
また浅はかな考えで出てきた解答では、 あらぬ方向へと迷走し更に悩みをこじらせてしまう可能性もあるので注意が必要である。
自身に問う時は、心を静かにして真剣に問うことである。