人に対してきつく当たる人や、
人をいじめる人の心の中には、
それ相当な自己否定があったりする。
どこかで『こうでなければならない自分』や、
『こうあるべき自分』を作り出し、
必死にその自分を演じているうちに、素直で純粋な自分はどこかへ隠れて、
いつの間にか作り出した偶像の自分に支配され、
厳しく調教され手名付けられているのかもしれない。
だからこそ、自分が守ってきた〇〇すべきルールを守っていない人や、ルールさえ曖昧でルーズな人を見ると、目くじらを立てて攻め込むのだろう。
その人はいったい誰を責めているのだろう?
人を責めて、自分をいじめ、自分を責めて、人をいたぶる・・・
その人の心の内は、いったい何を感じているのだろう?
そこには何も見つからない虚しさが存在するのではないだろうか?