過去してきたことの上塗りをし続けて、
何ら改善もせず同じようなことをいつも繰り返していれば、
何時かそのことは、しぼんでいくようになり、またそれをしている自分の心もしぼんでいくようになる。
たとえ前にうまくいったことでも、また同じようにしてうまくいくとは限らない。
人はその時その時で、なんとなくしたいと思うことの深さや大きさが変化していく。
その自分の心の変化を敏感に感じ取り、それに素直に寄り添う柔軟な姿勢が、未来の成功をもたらしていく。
過去してきたことの上塗りをし続けて、
何ら改善もせず同じようなことをいつも繰り返していれば、
何時かそのことは、しぼんでいくようになり、またそれをしている自分の心もしぼんでいくようになる。
たとえ前にうまくいったことでも、また同じようにしてうまくいくとは限らない。
人はその時その時で、なんとなくしたいと思うことの深さや大きさが変化していく。
その自分の心の変化を敏感に感じ取り、それに素直に寄り添う柔軟な姿勢が、未来の成功をもたらしていく。
自分の人生や自分の周囲に変化・変容が起こっていると感じる時、
動き回って何とかそれに対処しようとするより、
立ち止まって自分に今何が起きているのか?
周囲に何が起きているのか?
俯瞰して観てみることから始めていきたい。
そして自分自身の内側深くで感じていることがどんなことなのか、じっくりと目を向けてみたいものである。
心にぽっかりと空いた、寂しさ・虚しさの穴を、人からの関心や愛で埋めようとしても、一時はよいかもしれないが、いつの間にかまただんだん同じような寂しさ・虚しさを抱えていることに気づくようになることがある。
人は自分の心の穴を埋めるためには、他者からの承認・関心・注目・評価・尊敬などを得る必要があると考えがちである。またそうすることに躍起になってしまうこともある。
しかし自分の心に空いた穴は、自分で修復していこうとしない限り癒されることはないだろう。他人は一時それを手伝ってはくれるが、その穴の代わりになるわけではない。
恋人と別れた時、パートナーと離婚や死別した時、子供が自立して離れていった時、退職した時等々・・・
もともと空いていた心の穴が、また露になっていくことがある。
自分の心に空いている穴は、そもそも自分が体験した出来事をどう思ったことでできてしまったのか?
ごまかしたり、放置したりせず、よくよく見て対処していきたいものである。
物事を先へ先へどんどん進めてしまうことによって、
その時その時で疎かにしていたことが、後から追いかけてくることがある。
終わったと思っていたことが実は終わっていなかったり、
忘れかけていた嫌なことを再び思い出させるような出来事に遭遇しては、心がパニックになったりすることがある。
自分は先に進んでいるのか、後戻りしているのか解らなくなるような感覚に陥る時、過去において処理されていない何らかの思いがないか?探っていくことで、解決の糸口が見つかるようになるかもしれない。
なかなか自分は大人になれないな・・・
と思うことは誰にでもあるもの。
内心大人になりたくないと思っている人だって結構いる。
そんな時無理に大人になろうとするよりも、自分のペースで徐々に成長していけばよいと思う方が楽にいられる。
逆に無理に大人になろうとして頑張り続けたりすると、後で反動が出て、やたらと子供っぽい部分が露出したり、抑えられない衝動に悩まされるようになったりする。
あなたはあなたでいいんだよ❣
人は人、自分は自分❣
世の中にはたくさんの人がいて、皆様々なペースで生きている。
ただそれだけのこと。
不足や恐怖を基に動くよりも、愛や喜びを基に行動したいもの。
人は何かあって感情的になっている時に、動きたくなるところがある。
例えば誰かと解り合えない不満や怒りから、その人との関係を断つなどである。
でもそれはどんな思いや感情に基づいた決断なのだろう?
決断の基にある思いや感情がいかなるものかによって、自分が未来に受け取っていく現実が決まっていく。
不足に捉われた決断をしていけば、不足の未来を生み出し、
恐怖に捉われた決断をしていけば、恐怖の未来を生みだす。
愛からの決断は、愛の未来を生み出し、
喜びからの決断は、喜びの未来を生み出していく。
今自分が決めようとしていることは、どんな思いや感情を基にしているだろうか?
一度自分い問い直してから、その決断を行いたいものである。
夫婦は互いに精神的自立をしていないと、関係性を維持することが難しくなっていく。
なぜなら自立心の少ない人は、相手に求めすぎたり、期待しすぎたりしてしまうからだ。
求められた方は、次第に負担が大きくなり苦しくなっていく。
また自立心の少ない人は、相手をありのままに見ることができない。
なぜなら相手に対して、自分の親のように接してくれることを期待してしまうからだ。
相手に自分が理想とする妻や夫であることを期待し続けたとして、それは実際の妻や夫と真に触れ合っていると言えるのだろうか?
もしありのままの相手と触れ合っていることがあまり無いのであれば、いつかその関係性が破綻してしまうのも無理はない。
もう昔のように夫婦は添い遂げるべきという常識や決め事などで、人々が縛られる時代は終わっている。
夫婦が互いを尊重し、協力し合えるような良き関係になっていくためには、互いの精神的な自立が必要になるのである。
自分の感情に蓋をすると、人に対して無関心になっていく。
自分の感情に蓋をすると、人から冷たくされることが多くなる。
自分の感情に蓋をすると、体のどこかに不調をきたすようになる。
自分の感情に蓋をすると、自分が何をしたいのか解らなくなっていく。
感情は生き物、どう扱うかで自分の敵にも味方にもなる。
苦しみの中に没入していると、どうして自分が苦しいのか解らなくなることがある。
苦しみの中に没入していると、自分が苦しいのかさえ解らなくなることがある。
苦しみの中に没入していると、もうこの苦しからは逃れられないように思うことがある。
そんな時は、少しでも苦しいと感じることをやめて、強制的に別のことをしてみるほうがよい。
何時も会っている人ではない別の人と会って話をしてみるのもよい。
いつも行くところではないところへ足を向けてみるのもよい。
自分が没入しているところから一旦離れて、その離れたところ(環境)にしばらく身を置くことが、こんな時には有効である。
苦しんでいるいつもの環境と、距離を離すことができれば、自分がなにゆえ苦しんでいるのかを客観的に観ることが可能になる。
その現状を客観的に観られるようになれば、 自ずと適切な解決法が見えてきたりするものである。
どんなことがあったとしても、どんなことに出くわしたとしても、
基本的に
あわてない
あせらない
あきらめないで
自分の道を歩んでいこう。