心の持ち方の方向性

少しのことで人を許せなくなることがある。

あの人のあの一言が・・・

あの人のあの振る舞いが・・・

あの人のあの言い方が・・・

そしてその人を自分の世界から遠ざけてしまうようになる。


そのようなことを積み重ねていくことにより、 人間関係を狭め、自分の生きる世界を狭くしてしまうことがある。

その結果いつも同じような人とばかりいることになり、人生が退屈で窮屈に感じることが多くなるかもしれない。



多種多様な人が住んでいて、ますます多様化しているこの世の中で、少しのことが許せないのは、とても無理な生き方をしているとは言えないだろうか?

これからはむしろ様々な人や状況を受け入れていく心の広さや柔軟さ、他を労わる慈悲の心を育んでいく方が、自分も他者も互いに生きやすくなるのではないだろうか。











2021年3月30日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

人が生きるのは?

人は誰かに愛されたい、認められたいという欲求を持っている。

また誰にも愛されず、誰からも関心を持たれなければ、

存在自体が危うくなっていく・・・と感じたことがる人も多いのではないだろうか。

だから人は一生懸命自分という存在を誰かに認知してもらおうと、

様々な方法で自分をアピールしながら頑張り続けていく。

その方法は千差万別、何かの成果を上げて認められようとする人もいれば、誰かを助けて認められようとする人もいる。

また人が驚くような何かをやって気を引く人もいれば、人を散々困らせて気を引く人もいる。

どんな方法をとるにせよ、人は自分の存在を現して、誰かとどこかで繋がっていたいのである。

もし人間誰もがそうであるならば、

自分自身も素直な気持ちで生きていけば、それでよいのではないだろうか。








2021年3月24日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

心のドーナツ化現象

おおよそ日本のどこの街でも、かつて栄えた街の中心部の人口が減少し、郊外の人口が増加するドーナツ化現象が起こっているように、人の心のドーナツ化現象も進んでいる。

自分の中心に自分を存在させることができず、絶えず外の情報や、損得勘定、様々な欲に振り回されて、日々忙しく過ごしている人が増えている。

あれも欲しいし、これも欲しい・・・

あれをやらなければ、これもしなければ・・・

あそこのうちの誰々は○○だから、うちも○○しなくては・・・

少しでも得をしようと、セールやキャンペーンに乗り遅れないよう一生懸命ものを買い集める・・・

取り残されないように、損をしないように、少しでも得するように、他人からよく見られるように・・・

心はいつもせわしなく、外へ外へと意識を向けているのが現代人の一般的な習慣ではないだろうか?

そのようなことに追われているうちに、心の内側が寂しくなっていく。

ふと一人になった時、ふと暇になった時、

そして急に何かがうまくいかなくなった時、

とてつもない虚しさが心の奥の方から突き上げてくる。

するとその突き上げてくる虚しさを恐れて必死で蓋をする。

そしてまた外側に意識を向け、何かで埋め合わせをしようとする。

そうしているうちに少しずつ、心の闇が深くなっていく。

気付いた時には心の中身は空っぽで虚しく、生きる希望さえ失ってしまうようなことがある。

私たちの豊かさは、外側ばかりにあるとは限らないのに・・・











2021年3月14日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

依存性の高いものは・・・

依存性の高いものは、その人の心を支配する。

ゲーム・美味しいもの・お酒・ギャンブル・恋愛・その他・・・

それらは麻薬のようにその人の心を虜にしていく。

人生の時間は限られているというのに、

どれだけの時間をそれに費やしてしまうのだろう?

そのこだわりが、自分に実際何をもたらしているのかを、

よくよく感じたり考えてみたいもの・・・

もし心がそのこだわりをスーと手放せれば、

再び自由を手に入れることだってできる。


何かにくっつくことで、わくわくしたり、気がまぎれたり、安心していられたりするのかもしれないが、離れていくこと、離れていられることも、また味わい深いものである。






2021年3月7日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime