心にわだかまりを抱えたまま年を越すのは酷なことかもしれない。
少しでも、小さくても、来年へ向けて希望の光を心に灯していたいもの。
光が見えなくなっているのは、どこかで自分の大切な何かを置き忘れてきたのかもしれない。
人生で起こる辛い出来事の数々は、本当は大切にしたかったことを、自分が見失っていることに気づかせてくれるきっかけなのかもしれない。
2022年のアーカイブ
自分をコントロールし過ぎてしまうのは?
自分をコントロールし過ぎると、生きるのが辛くなっていくことがある。
自分をコントロールし過ぎると、いつかそのコントロールが効かなくなり、思わぬ方向へ暴走してしまうことがある。
自分をコントロールし過ぎると、他人を自分の思い通りにコントロールしたくなっていく。
人が自分をコントロールし過ぎてしまうのは、どんな理由があるのだろうか?
なぜそこまで自分を管理したがるのだろうか?
自分をコントロールし過ぎてしまう人の心の裏側には、許せない自分が存在していることが多い。
例えば自分の好き勝手にしたい自分や、人をえり好みする自分、本当は甘えたくて仕方ない自分や、とっても幼稚な自分等々、自分にとって好きになれず認めたくない自分が、心の奥に救いを求めてうようよ漂っていたりする。
こうした自分に出てきて欲しくないから、より自分のコントロールを強めてしまうというカラクリがある。また自分の嫌な部分を人に見るから、それをコントロールしたくなるというカラクリもある。
もしどうしても自分をコントロールし過ぎてしまったり、人をやたらコントロールしたくなる自分がいたら、心の底で許されていない自分がいるのではないかと目を向けていきたいものである。
出勤するのが辛くて・・・
どうしても仕事のことを考えると辛くなる・・・
会社に行くのが辛くて仕方がない・・・
そんな自分を、ダメな人間と責め苦しんでいる人は多いかもしれない。
更には皆と同じようにできない自分、社会に適応できない自分を責め、二重に三重に苦しみを一人で背負い込んでしまっていることもある。
こうなってくるともう逃れようもなく、生きていること自体が辛くなってしまうだろう。
このようになった時に、私には一つだけ明確に言えることがある。
それはそうなっている人は決してダメな人間ではないということ。
私は様々な人の悩み苦しみを日々聞いているけれど、今まで一つとして理由のない苦しみなど存在したことはなかったからである。
皆それぞれに事情を抱えている。
育った環境、今までしてきた体験、出会ってきた人々との間で起こった出来事など様々である。
それらを丁寧に聞いていけば、なぜその人がその問題をそのような形で抱えなければならなかったのかが解ってくる。
それが解ってくれば、問題を解く糸口もおのずと見えてくることが多い。
人は時に一人抱え込んで自暴自棄になることがあるけれど、そんな時こそ自分を冷静に振り返ることが出来る環境を選んで、今までの自分を思いっきり語り、この先少しでも楽になれる道、希望を持てる道を誰かと共に模索していく・・・
そんな機会を、自分にプレゼントしてあげるのも一つの立派な選択になるかもしれない。
突っ走るのはやめようと思っても・・・
突っ走るのをやめようと思っては、また不安になって突っ走る。
そしてまた同じような問題に遭遇する。
そのようなこと事を繰り返しているうちに、再び問題に遭遇するまでの周期が段々短くなっていき、最後には自分のやり方に飽きが来て気力を失い、チャレンジすること自体が無価値のように思えてくる。
こうしたことがよく起こるのは、自分が取り組んでいる問題や課題の本質に触れる前に、何か行動を起こして小手先だけで対処していることが原因になっているのかもしれない。
そのような時はいったいどうしたら良いのだろ?
自分の小さな頭で解決策を無理にひねり出すのを一切やめて、 腹をくくって深いところからやってくる確信のような閃きを、じっくり待つのも良いかもしれない。
あれやこれやと無駄な動きをして体や心を消耗させるより、ずっと建設的になれるかもしれない。
近頃の流れ
早いもので2022年も終わろうとしている。
そんな中で今起きていることは、いったいどんなことなのだろう?と考えたくなる。
それは様々あり過ぎて一言でいうことはできないかもしれないが、何か共通している流れのようなものを感じることがある。
世の中良くなっていくものと、悪くなっていくものが二極化している等と言われることも多い、またそうしたことも踏まえてか格差社会などとも言われていたりする。
確かにこんなに幸せなそうな人もいるかと思えば、こんなにも辛く苦しんでいる人がいるという現実を、ありあり観させられることが多くなった気もする。
しかしこれは本当に二極化の流れなのだろうか?
私には良きにせよ悪しきにせよ、それぞれの人がしてきたこと、積み重ねてきたことが、結果としてハッキリと表れやすくなっているのが今という時代なのではないかと思えてならない。
あなたが今までしてきたことの結果がこれですけれど、この先はどのようにするおつもりですか?と問われているような気がして仕方ない。
だとするならば、今は一つの区切りの時期であるのかもしれない。
もしそうだとするなら、自分の人生を見直し方向転換するなり覚悟を決めるなり、人生の再決断をするのには適した時期と言えるかもしれない。
この自分と共に
前世があろうがなかろうが、来世があろうがなかろうが、
この肉体を持った自分で生きるのは、どのみちこの一回だけ。
そう考えたらどんな自分であろうが、死の瞬間を迎えるまでこの自分と共に生きていくことになるのだから、そんな自分を認め愛する覚悟を持つことである。
私たちはどうあがいても自分でない自分を生きることはできない。
未熟な自分がいたら、それを認め育てていけば良い。
至らぬ自分がいたら、それを認め磨いていけば良い。
人に迷惑をかけてしまう自分がいたら、それを認め改めていけば良い。
どんな自分がいようとも自分を嫌う必要など一つもなく、 様々な自分と一つ一つの向き合い、認め愛していくことによって人生が報われていく。
もし自分を認めることも、愛し育てることも難しいと感じるなら、それを誰かに手伝ってもらうことを自分に許可することである。
答えの見つからない悩み
私たちは時折どうすればよいのか?あれやこれやと思い悩むことがある。
一生懸命過去の前例に照らし合わせながらその答えを見つけ出そうとしても一向に見つからない時もある。
もしかしたらそんな時は、心の浅いところを掘っ繰り返しているだけなのかもしれない。
自分の心が本当に求めている真実は、もう少し深いところにあるのかもしれない。
そこで腹を決めて心奥深くに目を向けていく時、意外な真実が見えてくることがある。
「自分はずっとこれを求めていたんだ・・・」とその事実に辿り着いた時、心は今まで味わったことの無いような解放感を味わうかもしれない。
何をやっても心が晴れない・・・
何をしていてもいつも心に不満が残る・・・
もしこのような心の状態が続くようなら、一段深めた心の旅に出てみるのも一つである。
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栄華の後の没落は・・・
栄華の後の没落は身に応えるものがある。
過去が栄えていた人ほど、それが没落した時に立ち直るのが難しくなることがある。
あれだけ盛っていたのに・・・
いったいあの時は何だったのか?
どうしてこんなことになってしまったのか?
何度も何度も思い返しては過去が忘れられず、気持ちを切り替えなければと思いつつも現状のはかなさにより一層気持ちを落ち込ませてしまう。
コロナ禍と言われる昨今、このような気持ちを体験している人は多いかもしれない。
もしどうしても気持ちを切り替えることが難しい時は、その気持ちを誰かと分かち合ってみるのも悪くない。
苦しい時、辛い時、虚しくて仕方ない時、それを言葉にして人に言えることは、一人で重荷を抱え込まないことになり、精神的回復への第一歩につながることが多いからである。
私が私を感じる時
人は自分を語ることで、自分という存在を認識していく。
人は自分の気持ちを話すことで、心のわだかまりやモヤモヤが晴れていく。
人は自分のしてきた体験を誰かと分かち合うことで、自分の存在価値のようなものを感じていく。
しかし、もしこうした自分の思いを誰にも話せない、或いは相手の偏った決めつけや解釈でしか聞いてもらえないようであれば、自分の思いは心の中に留まる一方となり、自分自身の存在価値を見出すことや、自己を確立していくことが難しくなってしまう。
人が自分を感じ自己を確立していくためには、自分の話や心の内にあるあらゆる思いを、ありのままに聴いてもらうという体験が大切になるのである。
様々な悩みが解決されるまで
人々が抱える悩みには、様々な解決のパターンがある。
私は20年以上相談業務に携わってきたが、それは千差万別・十人十色と言ってよいだろう。
一回の相談で解決していく悩みもあれば、5回6回と話をしていくうちに解決する悩みもある。深い悩みを抱えている人は年単位で取り組む場合もある。
また解決することよりも話を聴いてもらうことで自分の心を整理したり、話をありのままにすることそのものを楽しんでいる人もいる。
悩みの解決法は、人によっても悩みの種類によっても様々である。
また悩みが解決すれば、心が晴れて楽になるというのはその通りであるが、悩みの種類や深さによっては、解決を急ぐことでかえって辛くなってしまったり、絶望を感じてしまうこともあるだろう。
後者の場合、抱えている悩みを自分なりにどう扱えばよいのかをある程度把握していくことができれば、自分が目指す解決への道筋が見えてくる。
解決への道筋が見えてくれば、それが一生かかって取り組んでいく大きなテーマであったとしても、それほど混乱したり自分を見失って自暴自棄になることは少なくなり、心も安定していくことだろう。
大切なのは自分の抱えている悩みが、いったいどのような性質のものであるのかをまずは知ることであり、そこから解決への一歩が始まるのである。