感情を露にするのは恥ずかしいこと?

職場などの公の場で、或いは人前で、感情を露にすることは恥ずかしいこと、マナーに反することだと思い、一生懸命感情的にならないようにして対応していることが、自分自身の心や体にかなりのダメージを与えていることがある。

お客さんに不条理なことを言われ悔しい思いをするサービス業の方々、患者さん利用者さんにその日の気分で八つ当たりされる医療・福祉関係の方々、しょっちゅう上司に怒鳴られたり嫌味を言われる新入社員、ご機嫌斜めな両親に毎回当たられる子供達、このようなことが続くようなら抱えるストレスは半端ないものになるだろう。

どこかでこうしたストレスを発散出来ていれば少しは良いのだが、我慢強い人は無自覚に自分の辛い感情をため込んでしまう。

するとある日、起きて間もなく何故だか涙が流れてきたり、人を見るとイライラしてたまらなくなったり、その場からいなくなりたい気持ちが消えなかったり、感情をコントロールすることがままならなくなっていく。

もしこうなってしまったら、どこかで思いっきり感情を吐き出すか、或いは専門機関に相談をすることが無難かもしれない。

しかしそうなる前に何とかする手立てはないのだろうか?

感情的にならないまでも、少しだけ自分の気持ちを前に出して相手に伝えてみるのも一つである。例えば相手の憤りを受け止めつつ「そう言われてしまうと私も辛いです」「今のはこたえます」「今の私では、あなたの期待に応えることが難しく感じます」などと口に出して伝えてみる。

相手の立場が上だとしても、本来人間同士は対等な存在。

自分がもし誰かに圧倒されそうになったり、潰されそうだったら、少々勇気を出して気持ちを一歩前に出してみよう。

あなたの小さな勇気が、事態を変えるかもしれない。


もしもそれが難しいようなら、他のだれかに相談して力になってもらうことをお勧めする。








2022年11月15日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

批判的な気持ちが多くなる時

自分の気持ちに噓をついて生きていると、他人に対して批判的になることが多くなる。

例えば本当は恋愛をしたいのに、自分には無理だとか、どうせ付き合ってもうまくいかないなどとその気持ちを見ないようにしていることで、自由に恋愛をしている人や、複数の異性と仲良くできる人を見てやたら批判したくなることがある。

あいつは身勝手だとか、異性にだらしがないとか、そのうち失敗するだとか、様々な批判が心の中を渦巻くようになる。

しかしそれを思っていたところで、またはそれを当人に伝えたところで、心がスッキリすることは無いばかりか、返って苦しくなってしまうこともあるだろう。

このことにかかわらず様々なことに対してやたら批判的になっている自分を感じたら、何か大切な本心を否定して生きているのではないか?とじっくり時間をとって自分自身への問いかけをしていきたいものである。














2022年11月13日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

一生懸命の裏側には?

自分が高みにいるような気分で一生懸命困っている人のサポートをしていても、いつの間にか自分が嫌だと思う人たちに囲まれていたり、裏切られるなどして、人間関係を良好に保つことが出来ず寂しさやストレスを抱え込んでしまうという事が、人生には起こることがある。

このような場合、一生懸命頑張っている心の裏側に『本当はもっと目を注いで欲しい辛い気持ちの自分』がいたりする。

例えば心のどこかが傷ついていたり、我慢に我慢の連続でとても疲れていて、そこに何らかの手当が必要であるにもかかわらず、その欲求を満たそうとする自分の甘えを許せずにいたり、 逆にこの位でへこたれてはダメだ!と自分に厳しくはっぱをかけていれば、人の優しさを遠ざけたり、甘えている人や至らぬ人を見て腹が立つことが多くなる。

そうしていつの間にか自分が孤立していることに気づくのである。

もしこのようなことが起こったら、感情的になって自分や他人、またはおかれた環境を責めたり嘆いたりするのではなく、今自分に起こっていることが何なのか?一旦立ち止まって冷静に見つめていきたいものである。

もしかしたらその原因は、心の深いところにあるのかもしれないから・・・





2022年11月12日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

大好きと大嫌いは表裏一体

誰かのことを好きになり、好き!好き!好き!と思っていることが、何時しか嫌いに変わることがある。

その人を一心に思う気持ちは良いのだが、それがだんだん覚めてくると嫌なところが徐々に見え始めてくる。

そのうちにこんな人に惚れていた自分のことさえイヤになることもあるだろう。

これはいったいどうしたことか?

自然界には陰陽の法則があり、陽が極まると陰に転じ、陰が極まると陽に転ずるという法則がある。

人を好きになり過ぎると、いつしか反転し嫌いになるというのは、 陽が極まって陰へ転じた至って自然なことなのである。

だからと言って人とお付き合いする時に、好きになり過ぎないようにいつも冷静でいなければと思っていたら、好きになること自体が難しくなる。

ではどうすればよいのだろう?

感情的に人を好きになることは、人として自然なことであり、生きていくための力になることでもある。

故にもし好き!好き!になっている自分に気づくことが出来たら、それと同時に冷静な目をもって相手を観たり感じたりすることを忘れないでいることである。

もしそれが難しければ、友人や第三者に相手を観てもらって、客観的な意見を聴くのもよいだろう。

何れにしても自分が短期的な恋のような関係性を相手に求めるのか?

末長くお付き合いしていく関係性を望むのか?

相手との関係性を育みつつ、自問自答しながらじっくりその答えを出していきたいものである。













2022年11月6日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

自分のことは自分が一番わかっている?

人間自分のことは自分が一番よくわかっていると言うことがある。確かに誰よりも24時間自分と一緒にいるのは自分なのだから、それはそうとも言えるだろう。

しかしその一方で他人のことはよくわかるが、自分のことになるとよく解らなくなるという人が大半ではないだろうか。

そうした矛盾を人はどこかに抱えて生きている。

常に鏡が自分の前に用意されていれば、少しは自分のこともわかりやすくなるのかもしれないが、それだと今度は自分のことばかり気になって対面している相手に集中することが難しくなるかもしれない。

そう考えていくと、自分自身を観ることと、周囲の状況や他者をバランスよく同時に観る意識を持つことが、大切になってくるのかもしれない。











2022年10月28日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

どうしてどうして自分はこうなるの?

あらゆる心の悩みや葛藤は、今の自分を受け入れられないことから始まることが多い。

過去の栄光、他者との比較、理想と現実のギャップ、思い通りにいかない現実等々、本来なら○○なのに・・・と今の自分を責めてしまい、余計に苦しみが増幅してしまうことがある。

しかし今のありのままの自分の状態を心から受け入れられれば、そこからどう進んでいけばよいかが自ずと見えてくることがある。











2022年10月26日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

それが起こる理由

様々起きる現象には、それが起こる理由がどこかに存在する。

子どもが不登校になる、または乱暴を働くようになる・・・

自分や家族が不慮の事故に遭う・・・

自分や家族が心の病にかかる・・・

突然会社を解雇される・・・

突然人に怒鳴られる・・・

このようなことが起きると、どうしてこんなことになってしまったのだろう?と嘆いたり、悔しがったり、落ち込んだり、イライラしたりと感情が波立ち、気が狂いそうになることもあるかもしれない。

しかしそうなった理由は必ずどこかにあるもの。

そのことが起こった真の理由を理解し改善に取り組めれば、事態は好転したり、次に同じようなことを起こさない予防線を張ることが可能になる。

しかしその理由がよく解らなかったり、不鮮明だったりすると、どう対処していけば良いのかが解らず、頓珍漢な対処をして事態を余計にこじらせたりしてしまうこともある。

しっかりとそこで起こっていることが何なのか?見極めていきたいものだが、それでも理由が解らない場合は、自分や家族がこうなったのは『何かのせい、誰かのせい、世の中のせい』などにしていないかを検証してみる必要があるかもしれない。

問題の真の理由を見つけられない場合、灯台下暗し等と言われるように自分の足元や、自分自身そのものに注意がいかず、そこが盲点となっていることが多からである。

人は自分を良く思いたい存在だから、それも致し方ないのかもしれない。










2022年10月25日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

人間欲に目がくらむと

人間欲に目がくらむと、真実が見えなくなることがある。

例えばイケメン男性や美しい女性と出会って少々仲良くなり、お付き合いしたい、結婚したいなどと思うようになるが、実際にその人がどういう人なのか見えているとは限らない。

また自分の性質に合っている人なのかどうかは、更に解り辛いかもしれない。

表面は美しくても、内側にはとても大きな心の傷を抱えていることもある。

結婚してみて何でこんな人と結婚してしまったのだろう?と思うことは、人間よくあることだ。

私たち人間は、どうしても表面的なことや目先のことに捉われ、後で後悔するということが時にしてあるもの。自分の心に余裕のない時ならなおさらである。

そんな学びを重ねながら私たちは、人や物事に対する視点を深め、その本質を見つめていくようになっていくのかもしれない。







2022年10月21日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

どうしてもあの人に認められたくて・・・

人は時に縁ある人に認められたくて自分を抑え込み、その人が望む自分であろうと努力することがある。

それをし続けていると、心の調子も体の調子も次第に思わしくない状態になり、なんだか苦しい、辛い、体が重い、やる気が起きないなどの症状が現れるようになる。

自分でもこれはおかしいと思いつつも止められずにいるとすれば、心の中にこれを続けていればいつかその人と心通じ合える時が来るという期待があるのか?

或いはその人を今まで愛せなかった罪悪感から、尽くすことによって承認を得ようとしているのか?

何れにしても自分の体や心を壊してまでそうし続けてしまうというのは、いったいどうしてなのだろう?

そこまでしても解り合いたい通じ合いたいという愛の表現の一つなのかもしれないが・・・



このような関係性は、頑なに自分を曲げることを嫌う我の強い人と、自己肯定感の低い人との間に起こりやすい。

互いを尊重し合い、互いが心を元々の素直な状態に戻すことさえできれば、このようなことは解消していくことが出来ると思うのだが・・・

とは言え人間はなかなか難しいものである。

2022年10月18日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

濃い人間関係の中では

親子・夫婦・兄弟・友人・恋人・上司部下などの濃い人間関係の中では、距離が近過ぎて相手を自分の思い通りにしたいという無意識的で無自覚な欲求が出てくることがある。

その思いに気づいて、すぐに手放すことが出来れば問題は大きくならないが、どうしても相手に○○になってもらいたい!○○してもらいたい!等と過度な期待を知らずの内にかけ続けていれば、相手は次第に窮屈さを感じるようになっていく。

人は本来一人ひとり別個な存在であるが故、その個としての尊厳が保たれていない場合(または本人がそのように感じている場合)、組織や家族や他者の期待に添い続けていくことが難しくなることがある。

今まで真面目に頑張ってきた部下・子供・妻・夫などが、心や体の不調を訴え会社や学校へ行きたくないと申し出るようなら、 そうなった経緯をその人の気持ちに寄り添つつ丁寧に聴くことから始めたいものである。







2022年10月14日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime