どこまでやれば楽になれるの・・・

どこまでやれば楽になれるのだろう?

どこまで頑張れば楽になるのだろう?

このように思って物事に取り組んでいると、

自分が本来望む状態から、

なぜか遠ざかってしまっていることがある。

なぜならば頑張って何らかの成果を出そうとしている自分と、楽になって自由になることを望む自分を、心の中で戦わせているからだ。

心の中で二人の自分が戦っている状態の時は、心のエネルギーが消耗されていく一方である。

このような状態が続けばいつか疲れ果てて、生きることそのものが嫌になってしまうことさえあるだろう。

ではどうしたら・・・?

もう少し楽に生きられるようになるのだろう。



まずは自分が本来望んでいることを思い出すことから始めてみるのも一つである。

また自分がこの道の途中で何をあきらめてきたのかを思い出すことによって、

何かが見えてくるようになるかもしれない。











2022年2月26日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

物事が終わりを告げる時

何かの終わりが告げられる時は、新たな何かが始まろうとしている兆しでもある。

終わりを告げられたご縁、

終わりを告げられた居場所、

物事が終わるということは、新たなプロセスも同時に用意されていくもの。

終わったことを嘆き悲しむのはよいが、そこにずっとしがみついていると、新たなプロセスへ進む妨げとなってしまう。

終わったことを悔やみ、悔やみきれずにい続ければ、もう一度そのレッスンをし直すことになるかもしれない。

終わりは始まり、卒業は新たなプロセスへの出発。

人生は途切れることなくただ流れていく。

2022年2月23日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

自分から差し出す勇気

相手が○○してくれたら、自分も相手に○○するという態度がある。

例えば、相手が自分を受け入れてくれるなら、自分は自由に振舞えるのに・・・と思ったりする。

相手がもっと解ってくれる人ならば、自分も優しくできるのに・・・と思ったりする。

相手が愛してくれるなら、自分も愛せるのに・・・と思ったりする。

またはその逆で、あの人が教えてくれないから、自分は○○することが出来ない・・・と思ったりする。

相手が自分に好意を持ってくれているから、自分も相手に対して好意を持てている。

等々、相手が自分に対してとる態度によって、自分の相手に対する態度を決めていることはないだろうか?

しかし、もしこうした態度をとり続けていくとしたら、自分自身の心に豊かさはもたらされるのだろうか? 経済的な豊かさはもたらされるだろうか?

と問うてみたいもの。

よく考えてみれば、こうした態度は相手なりの自分でいることにほかならない。

もしそのままの態度であり続けるならば、人生も終盤に差し掛かった時、あらゆることを人や社会のせいにして、 愚痴や言い訳、 心に不満たらたらの状態を味わっているかもしれない。

もし自分から差し出す勇気があれば、人生はどのようになっていくだろう?

相手なりの人生を生きるのか、 自分から豊かな人生にしていくのかは、全て自分次第ということになる。












2022年2月19日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

たとえ人から愛されなかったとしても・・・

誰からも愛されていないと思うことは、生きる希望さえ失ってしまうほど、 人としてとても辛いことである。

しかし、たとえ誰からも愛されなかったとしても、生きる価値や存在する価値そのものが無いわけではない。

自然に生かされているということは、何らかの『命の役割』があるということに他ならないからだ。

自分を嫌ったり、無価値な者だと思ったり、蔑んだりすることを一旦休止して、自分自身との関係を見直し再構築していくことで、命の役割が見えてくることがある。

自分自身との関係が、『信頼の関係』に変容していけば、いつの間にか人からも愛されるようになっていく。

更に命の役割を見出していくことができれば、生き甲斐や希望、そして喜びそのものを味わえるようになっていくものである。

ゆえに私たち人間は、誰からも愛されていないから存在する価値が無いのではなく、それは『誰からも愛されないという心の状態』になってしまっているということなのであり、その心の状態を見直して、自分自身との関係性を良質なものに再構築することが出来れば、豊かな人生を味わうことが可能になるということを、心のどこかに留め置いていただきたいものである。





2022年2月18日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

心をほったらかしにしていると・・・

心はちゃんと見てあげないと暴走することがある。

欲望に火がついて、あらぬ方向に突っ走ったり・・・

感情の赴くままに、激しい感情をそのまま誰かにぶつけてみたり・・・

自暴自棄になって、破壊的行動に走ってしまったり・・・

自分心の底にある感情や思いに対して、無関心でいたり、それを亡き者にしていると、コントロールの利かない状態が心に生じることがある。

そうなってしまわぬ内に、「なんだか変だな最近の自分は・・・」と感じる程度の内に、自身の心が発している何らかの信号に対して、アプローチをしたいものである。




2022年2月11日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

話したいことをどのぐらい話せているだろうか?

話したいことを話せることは、とても大事なことである。

こんなこと話したら、どう思われるだろう・・・

思っていることを話したら、自分は変な人に思われはしないだろうか・・・

この様な不安を抱え、話したいことが話せない状況が続くようであれば、心の中には報われない思いや、やり場のない感情エネルギーをため込んでいくことになりかねない。

思いや感情のエネルギーをため込むことによって、段々心に負荷がかかっていき、それがあらぬ時に、あらぬ場所で放出されてしまうことがある。

自分はどうしてあの時あんなことを言ってしまったとだろう・・・

なんてことをしてしまったのだろう・・・

せっかく頑張って生きてきた人生を、一瞬にして壊してしまうことのないように、自分の気持ちを語る場を持つようにしたいものである。



2022年2月5日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime