頭で考えることと心の内で思うこと

頭で考えていることと、心の内側で思うことにギャップがあればあるほど、人生が辛くなっていく傾向がある。

例えば頭ではたくさんの人から評価されたいと思いながら、心の内側ではそのことにはそれほど興味が無かったりすることがある。

このような場合は、人からの関心や評価を得るためにいつもせわしなく動きまわるけれど、たとえ人から認められたり褒められたりすることがあったとしても、心の内側では寂しさや虚しさのようなものを感じていたりする。

このような時心の内側で何を望んでいるのかと言えば、人に認められることよりも心でつながった関係を持つことを希望していたりする。

もし一生懸命何かに取り組んでいるにもかかわらず、自分の心の内側で不満足や渇きのようなものを感じるようであれば、頭で考えることを少し沈めて、心の内側の声に耳を傾けてみたいものである。

心の内側に耳を傾けるには?

2022年6月25日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

いつもどこに目を向けていますか?

自分の外側のことにばかり目を向け、内側に目を向けずにいると、自分自身のコントロールを失う事態に陥ることがある。

例えば自分の外側からくる様々な情報や刺激や快楽、仕事の忙しさなどにばかり気を囚われ、自分の内側の思いや感情に目を向けずにいることで、いつしか苦しみ哀しみの涙や、怒号の怒り、死にたくなるほどの寂しさ落ち込みが止まらなくなることがある。

これは例えば普段仕事ばかりに夢中になり、家の中は散らかり放題・ゴミ屋敷になっている状態に酷似している。

自分の内側は決して目には見えないけれど、様々な思いや感情がゴチャゴチャになって奥底で渦巻いていたりすることがある。それらを放置し続ければ、いつかその渦に飲み込まれてしまうのも無理はない。

生活はそんなに困るほどではないが、何か苦しさ辛さのようなものを感じることが増えてきた・・・

時々何らかの拍子に叫びたくなることがある・・・

ふとした時に不安な気持ちに飲み込まれそうになる・・・

などの症状が現れるようなら、自分の内側からSOS信号が発信されているのかもしれない。

「もう大変なことになっているのだから、こっちにも目を向けて~ 」と。

そんな時は自分の内側に目を向けることを恐れず、内側への取り組みを始めていきたいところである。

心の内側に目を向けるには?



2022年6月23日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

親との関係に苦しむ人たちへ1

親と子供は同じ家族といえど、考え方や、価値観、物事の捉え方が違って当然である。

子どもは年長者だからと言って親と同じように考える必要はなく、親の期待に必ずしも応える必要はない。

親が子供に向ける期待の中には、愛から発しているものからは程遠いものがあったりする。

例えば親が若い頃にできなかった後悔を、子供にリベンジしてもらおうとしていたり、自分では出来もしなかったことを過度に子供に期待し、自分の劣等感をごまかそうとしていたりすることがある。

このように親が自分の人生に向き合えずクリアーできなかったことを、子供は知らないうちに背負わされていることがある。

もし子供が、自分の人生としてそれをやっていきたいと思うなら何も問題は無いが、やりたくもないことを無意識のうちに引き受け、自由を失い、自分自身が解らなくなってしまっているようなら要注意である。



そのような親に育てられ苦しんでいるならば、何らかの精神的なサポートを他者から得る方が、自分らしく楽に生きられる可能性が高まるのである。


2022年6月13日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

さり気なくやってくる小さな気づきを大切にする

人生は小さな気づきの連続である。

ただなんとなく日々を過ごしていたり、

忙しさに夢中になって日々を過ごすよりも、

普段さり気なくやってくる小さな気づきを大切にする方が、

自分自身を成長させていくことが出来たりする。

あの人には○○という思いがあるから、あの時ああ言ったんだ・・・

自分の心の中に○○な思いがあるから、この選択をしたんだな・・・

ずーと○○してきたから、良くも悪くも今この結果なんだな・・・

あの時あの人のあの言葉は、こういう意味だったのか・・・

普段何気なく通り過ぎていることに、実は大事なヒントがあったりする。

自分自身の周囲に転がっている小さなことに気づくこと、またその小さな気づきを大切にすることで、自分や他者、起こる出来事に対する見識が深まり、人生をより豊かで充実したものにしていくことが可能になる。

気づきの少ない人生は、何年生きていても若かりし頃とそれほど変わらない心の薄っぺらさのようなものを、醸し出してしまうのかもしれない。









2022年6月11日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

今までのようにはいかないと感じる時

今まで自分なりにしてきた様々なストレス対処法のどれをやっても、うまくいかなくなる時がある。

そんな時は、根本的・本質的に心の見直しをする必要がある。

今まで見ないようにしてきたこと、

いつか何とかなるさと目を背けてきたこと、

もうそれではいられない・・・そんな時が来たのである。

覚悟を決めて根本から自分を見直すことが出来れば、新たな道が見えてくる。



今抱えている問題の向こう側には何が見えるだろう?

2022年6月10日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

人生の成功について

人が百人いれば百通りの成功がある。

テレビや雑誌などで脚光を浴びているものだけが成功例というわけではない。

数年後に訪れてみれば、そんな脚光を浴びたお店等も廃業していたりすることがある。

私たち個人が目指す成功は、外側にあるものを追い求めて至るものではなく、静かに心の内側にいつもある思いの中にあり、それが何時しか開花した時に実現していくものである。





2022年6月9日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

どうしても譲れない自分の考え

人によっては、どうしても譲れない考え方や価値観というものがあったりします。

しかしそのことで自分を生き辛くしていたり、違う考え方や価値観を持った人達を尊重することを難しくしていたります。

それは自分の持っている考えや価値観に同調し過ぎているからかもしれません。

そもそも自分の考え方や価値観というものは、自分が採用している仮面のようなものです。

それ自体は時と場合によって、取り外しが可能なはずですが、あまりにもそれと同化し過ぎてしまうと、それこそが自分のものであるかのように思えて取り外しが困難になってしまうのです。

もしそのようなことで他者とうまくいかず困ってしまうことがあったら、少し間をおいて自分と遊んでみるとよいでしょう。

そして以下のように自分に問いかけてみることです。

「その考えや価値観はいったいどこからやってきたのだろう?」

「自分が今まで育ってくる環境の中で、誰かが繰り返しリピートしながらその考えや価値観を述べていなかったかな?」 

「それが正しいと思って取り込んだのはいつ頃からかな?」

「自分は最初からそんな風に考えていたかな?」

そのようにして自分の考え方や価値観を、よくよく観察してみることです。

そうすればそうするほど、その考えや価値観というものが、元々あなたのものであったかどうかがあやふやになっていくことでしょう。

あなたの考えは、あなたのものとは限りません。

あなたの価値観は、あなたのものとは限りません。

考えや価値観というものは、 本来時と場合によって変化し得る自由に取り外しの可能なものなのですから・・・

2022年6月5日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime