問題はいち早く解決すればいいの?

私たちは人生に何か問題が起きた時、解決を急ぐあまりその問題が発生した真の原因に迫ることなく、表面的な対処をしてしまうことが多々あったりする。

問題の表面だけを捉えて小手先だけで対処した場合、その問題が根本的に改善されていなければ、一旦は良くなったかのように見えたその問題が、また再発してしまうことはよくあることだ。

それは人間関係においても、心身の病においても同じことである。

病気になって熱が出れば解熱剤を飲んで熱を下げる。

人間関係がうまくいかなくなれば、その人を無視して避けるようにする。或いはは属している組織を自分が辞めたりする。

これらの対処法をとった場合に、問題はその瞬間軽減し無くなったように思えるかもしれないが、後にまた同じような問題にぶち当たったりすることもある。

そして次に同じような問題に出くわした時は、状況の改善が以前より難しくなっているように感じるかもしれない。

もしそのように感じるようであれば、前回の対処法がいかに表面的で根本的な対処が成されていなかった、という事を現実が物語っているのである。

ゆえに問題は、必ずしもすぐに解決することが大事なのではなく、その問題が起きた本当の理由を知って、真摯に向き合い対応していくことの方が大事なのである。



何度も同じような問題につきまとわれて自分を疲弊させていくようになるのと、 一見大変かもしれないが起きた問題の根本的対処を行い、一つ一つクリアーしていくのとでは、どちらが清々しく生きられるのだろう?










2022年9月30日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

ピンチが訪れた時

人はピンチの時こそ、本当の心の声が聴けるということがあるかもしれない。

普段は思考の雑音に惑わされ迷いが多い人でも、ピンチが訪れ自分に真剣に向き合わざるを得なくなった時に、そうだ本当は○○したかったのだ!と気づくことがある。

そうすれば人生に揺るぎない柱が立つ。

だから人生にピンチが訪れることは決して悪いことばかりではなく、成長のチャンスともいえる。

しかしピンチの渦(ピンチ下で感じる恐怖感や焦燥感などの感情)に飲み込まれてしまえば、間違った方向へ歩を進めてしまい更に人生を悪化させてしまうこともある。

ゆえにピンチが訪れた時には、慎重に対処したいものである。







2022年9月29日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

お彼岸で自分を供養することも

お彼岸で先祖供養も大切だけれど、自己供養することも忘れないようにしたい。

辞書を調べれば、供養とは死者の霊などに、行動(身)と言葉(口)と心(意)の3種の方法によって供物を捧げることなどと書いてある。

自己供養とは、今まで生きてきた自分に感謝をしつつ、労わることが出来なかった体の部分を労わったり、叶えてあげられなかった思い、今の生活を維持するために犠牲になってしまった思いなどに思いをはせ、その思いが自分の中で現在どのように存在しているのかを観てあげることでもある。

心の内に存在する自分が納得していれば問題はないが、納得していないようであれば、今の自分に出来ることはどんなことだろうか?どうして欲しいのだろうか?と耳を傾け寄り添ってあげることも自己供養につながる。

その結果過去の自分が望むようであれば、一緒に行動してもよいだろう。昔通っていた学校や、住んでいた家、または気になる場所や人を訪ねてみるのも一つだ。

そうすれば何か大事なことを思い出したり、気づいたりすることがあるかもしれない。

なんとなくずっとモヤモヤしていた心の奥底の思いが、次第に解き放されていくかもしれない。

2022年9月25日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

自分の人生に納得していない自分はどの位いますか?

今まで生きてきた人生の中で、納得していない自分がいると、人生を先に進めることが出来なくなることがある。

例えば心から好きだと思える異性に出会って、お付き合いするなり結婚するなりしたい気持ちがあったのに、それほど好きでもない人と結婚していたり、恋愛したい自分から目を背けて仕事ばかりに打ち込んでいたりすることによって、そのことは起こりやすくなる。

ある程度人生が軌道に乗って、頑張ってきたことがそれなりに評価されながらも、何か心の中に不満のような、寂しさのような、悲しさのようなものが付きまとう感じが止まらない。

そのような思いを持ちながら、なんとかして人生のステージアップを試みようとしても、納得のいっていないもう一人の自分が、形を変えてリベンジしてくることがある。

魅力的な異性に出会って不倫を重ねたり、好きでもない人からしつこく付きまとわれたり、心が引き裂かれるような、心の半分がグチャグチャになるような体験をするようになるかもしれない。

そのまま進んでいけば良い人生だったかもしれないのに、自分で自分を壊すような方向へ進んで行ったり、壊れてしまうような状況に追い込まれいったりする。

こうしたことは、人生に納得のいっていない自分を放置し続けた結果として起こる現象と言えるだろう。

そんな自分をなだめるのは容易ではないが、投げやりになることなく丁寧に心の底で思ってきたことに耳を傾け、それを誰かと分かち合うなりして心の対応をしていきたいものである。



2022年9月23日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

両親に対して募る不満が・・・

両親のことを好きになれず、なかなか良い関係を築けないという葛藤を抱えている場合、心の状態がどこか不安定になってしまうことがある。

そしてその心の中の不満を、知らず知らずのうちに両親以外の人達にもぶつけてしまっていることがある。

もしそのようなことが続いていれば、周囲との関係性が悪化していくのは無理もない。

心の中に不満な気持ちをため込んでいくことは、自分にとっても周囲の人にとっても良い影響をもたらすことにはならないだろう。

であれば自分がため込んだ不満は、どうにかして処理していく必要がある。

その不満はいつ頃から? 

いったいどんなやり取りから生じたの?

あなたが言った一言に対して、否定的な返答をされた?

あなたが一生懸命取り組んでいることに対して、見下すような意見を言われた?

あなたが大切に思っていることや人に対して、鼻から信用してもらえなかった?

それはそれは悔しい思いを積み重ねてきたのかもしれない。

そんな両親の価値観や、思いを変えようとしていろいろ話をしても、跳ね返されるだけで、そのたびに傷ついてきたかもしれない。

どうしてこんな両親のもとに生まれてきてしまったのだろう?と嘆いても嘆いても何も始まらない・・・

ではどうすれば、このような関係性を変えることができるのだろう?

相手を変えようとしてもどうにもならないのなら、自分自身の内側を見直していくようにすることから始めてみたい。


例えば自分の心の内側には、親に対するどんな思いや固定観念があるのだろうか?というところを観ていくようにする。

そうして観ていった時に、親に対する決めつけがあったりしないだろうか?

例えば、母親なんだから私を受け入れるべきなのに!

父親なんだから私に理解を示すべきなのに!

親なんだから私を応援するべきなのに!共感するべきなのに!

これらは一見当たり前のことのように感じるかもしれないが、親も一人の人間、人を受け入れる器の大きい人もいるし、ちょっとしたことが受け入れられない人もいる。

人に対して深い理解を示せる人もいるが、そうでない人もいる。

人を応援したいという人もいれば、人より自分が認められたいという人もいる。

あなたの親はどんなタイプの人間なのだろう?


人はそう簡単には変われないし、変わっていくのには時間もかかる。

親だからと言って成長途中の一人の人間、過剰な期待をしてしまうのは酷なことでもある。

両親に対して不満をぶつけ続けて結果的に自分の運気を下げてしまうのなら、発達過程で至らぬ両親のありのままの姿を受けとめていく心を、自分が育んでいく方が早いかもしれない。

お母さん・お父さん・おやじ・おふくろなどと呼ばないで、下の名前で○○さんと呼んでみることから始めてみるのもよいかもしれない。

実際に呼ぶことが難しいなら、心の中でそう呼んでみてもよいかもしれない。



お薦め講座


2022年9月22日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

どうにもやる気が・・・

普段人の為、誰かの為に神経を使い、仕事・家事・育児等に明け暮れていたりすると、自分が疎かになることがある。

自分自身の気持ちを抑圧し、あるべき自分を生き続けていれば、抑圧された自分からいつかしっぺ返しがやってくる。

どうにもやる気が起き無くなる・・・

いつもしていることに嫌気がさして仕方なくなる・・・

などのサインが出てくるようなら、心の底に抑圧していた本当の気持ちが浮上してきているのかもしれない。

そんな時は自分自身に優しく目を向け、できるだけ自分の時間を作ってあげることを心掛けたい。

そうしようとしてもネガティブな気持ちが湧いてきて仕方なかったら、誰かに話しを聴いてもらうのも悪くない。

或いはもし出来るようであれば、いつもしていることを誰かに任せ、今までなかなか出来なかったことをしてみるのも悪くない。

いずれにしてもこのような時は、今までの人生の流れから一旦自分を外してあげたいものである。





2022年9月21日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

なんとなく気になっていることを大切に

私たちはよく考えているようで、大して考えずに振舞っていることがある。

特に物事に慣れてくると周囲からの刺激に自動的に反応して、それらを処理しているだけになっていることがある。

よく考えたら、本当にそれでよいのだろうか?と思うことがあったとしても、いつも通りだからまあいいかと、なんとなく気になっていることに目を向けることを止めてしまう。

そうしたことをしばらく続けていると、ある日ハッとさせられるような出来事に遭遇したりする。

急に人から頼りにされなくなったり、

突然誰かに怒鳴られたり、

大きな事故が起こったり、

子供が学校に行かなくなったり、

パートナーに三行半(あるいは別れ話)を突き付けられたり等々・・・



どうしてこんなんことになってしまったのだろう?

それは、なんとなくこれで良いのだろうか?と疑問に思っていたあの時の小さなサインを見過ごしてきた甘さの積み重ねが、ついにここに至ったのである。

もしこのようなことになってしまったら、習慣に身を任せてあらゆることに無関心になっていた自分を反省し、まずはやり直せることからやり直していく覚悟を持つことである。

2022年9月15日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

より良く生きようと

これをしたらあれをしてと、次から次へと事に追われる日々を過ごしていると、心が乾いてしまうことがある。

現代社会では、多くの人がより良く生きようとして、日々行うことが多くなっているのかもしれない。

しかし自分が少しでも良くなるために、或いは生活を少しでも良くするためにしていることが負担となり、 返って体や心を疲弊させてしまうことがある。

或いはそうした習慣のようなものばかりに捉われ、内面が疎かになっていることもある。

いずれにしてもこうしたことが続けば、

ふとした時に心の中に虚しさを感じたり、

体調が崩れたり、

人間関係や家族関係に不調和が生じたり、

仕事がなぜかうまくいかなくなったりすることがあるだろう。

これらは一旦立ち止まって、自分のしていること、してきたことに偏りはないか?

大事なことを見落としてはいないか?

また本当の気持ちが望んでいることは何か?

を確かめる必要がありますよ!

と現実から警告されている可能性がある。



こうした時は、 自分がいつも行っている習慣や、習慣的に考えている枠の外側から今一度見直していく必要があるのである。

2022年9月14日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime

心が言うことを聞いてくれない時

どうしても心がいう事を聞いてくれない時がある。

例えば仕事をしなければならないのに、休みたくて仕方ないとか、

勉強しなければならないのに、全くやる気になれないなどである。

このような感じが続くようであれば、そんな自分を無理やり従わせて抑え込むより、できることならやりたくない気持ちを尊重して、その気持ちに寄り添ってみることをお勧めしたい。

自分の内側の気持ちに寄り添う時は、そうなっている何らかの理由が必ずあるということと、そこにしっかりと耳を傾けていく態度が大切になる。

そのような姿勢をもって自分に温かい気持ちで触れ合うことによって、自分をベストの状態へと内側から導いてくれるということが起こるようになる。

重要なポイントは、自分自身を信頼することである。

人は通常自分を信頼してくれる人や、尊重してくれる人には、それに応えたいという心理を持っている。

どんなことになっても、そこに信頼する気持ちがあれば、人生が悪くなる方向へは進み難くなるのである。





2022年9月4日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : 「ほっ」とTime