様々起きる現象には、それが起こる理由がどこかに存在する。
子どもが不登校になる、または乱暴を働くようになる・・・
自分や家族が不慮の事故に遭う・・・
自分や家族が心の病にかかる・・・
突然会社を解雇される・・・
突然人に怒鳴られる・・・
このようなことが起きると、どうしてこんなことになってしまったのだろう?と嘆いたり、悔しがったり、落ち込んだり、イライラしたりと感情が波立ち、気が狂いそうになることもあるかもしれない。
しかしそうなった理由は必ずどこかにあるもの。
そのことが起こった真の理由を理解し改善に取り組めれば、事態は好転したり、次に同じようなことを起こさない予防線を張ることが可能になる。
しかしその理由がよく解らなかったり、不鮮明だったりすると、どう対処していけば良いのかが解らず、頓珍漢な対処をして事態を余計にこじらせたりしてしまうこともある。
しっかりとそこで起こっていることが何なのか?見極めていきたいものだが、それでも理由が解らない場合は、自分や家族がこうなったのは『何かのせい、誰かのせい、世の中のせい』などにしていないかを検証してみる必要があるかもしれない。
問題の真の理由を見つけられない場合、灯台下暗し等と言われるように自分の足元や、自分自身そのものに注意がいかず、そこが盲点となっていることが多からである。
人は自分を良く思いたい存在だから、それも致し方ないのかもしれない。