人は理想や完璧であることを追い求め、自分自身と戦っていると、いつか燃え尽きてしまうことがある。
出来るだけそうならないように、ありのままの自分を認めつつ、普段から自分と仲良くすることを心掛けていたいものである。
人は理想や完璧であることを追い求め、自分自身と戦っていると、いつか燃え尽きてしまうことがある。
出来るだけそうならないように、ありのままの自分を認めつつ、普段から自分と仲良くすることを心掛けていたいものである。
親からご飯は食べさせてはもらえた、お金の援助もしてもらえたけれど、心のことには関心を持ってもらえなかったという人は結構多い。
これは親が、学歴・就職先・結婚相手がどうかなどの形に捉われ、子供自身がどんな存在なのか?どんな気持ちで生きているのか?ということに関心を示さなかったことに由来するところがある。
そのようにして育てられてきた人は、何不自由のない生活はできたけれど、心はどこか不満足、そしてどこかに苦しさを抱えていたりする。
しかしこうした苦しみをもって生きている人達は、周りから恵まれているように見えるために、その苦しみをなかなか理解してもらえない傾向がある。
だから余計に自分の本当の気持ちを話せないという悪循環に陥ることが多くなるのである。
基本的に人から見守られていると感じて生きている場合と、
人から監視されていると感じて生きている場合では、
体験する人間関係が大きく異なっていく。
前者であれば、人間関係を通じて豊かな人生を味わうことが出来るが、
後者の場合は、人間関係で傷ついたり疲弊したりすることが多くなる。
こうした意識の差はどこから生まれるのだろうか?
それは子供の頃共に生活をしていた両親や祖父母から向けられていた視線の性質によるところが大きい。
その視線が温かく豊かなものであれば、自分に対する肯定的感覚が心の中に記憶され、
支配的で条件が課されたものであれば、自分に対する否定的感覚が心の中に記憶されていく。
人間関係における緊張感やストレスを多く感じる人ほど、こうした負の影響を受けている可能性が高いと言える。
もしこうした負の影響に苦しみ、そこから自分を解放していきたい時は、 育ててくれた家族と少し距離を置き、自分を大切に思ってくれる他の誰かと安定した関係性を保っていくことが近道になることがある。
人は繋がりの中で癒されていく性質があるゆえ、一人で悩みや苦しみを抱え込んでしまうのはとても辛いこと。
話にくいことであればあるほど、誰かと少しでも分かち合えれば、気持ちは楽になる。
気持ちが楽になったところで現実は何も変わらないかもしれないけれど、気持ちが楽になれた分、その現実に対する受容力を高めていくことが出来る。
現実に対する受容力が高まれば、その現実との向き合い方や捉え方、或いは取り組む姿勢が変容し、生きることそのものが楽になっていく可能性も高まるのである。
あなたにとっての救いのカギは、思いもよらぬ誰かが持っているかもしれない・・・
👉5月5日:インナーチャイルドにつながって楽に生きる心理学講座
人の潜在意識には様々なストーリーがある。
そのストーリーがポジティブなものであれば問題ないが、ネガティブなものになっていると、何故だかあと一歩のところで幸せを逃してしまったり、失敗を繰り返す人生になってしまうことがある。
潜在意識のストーリは無意識のうちに作動しているので、意識的に制御するのはとても難しい。
こうした潜在意識のストーリーに変更を加えるためには、潜在意識に入っていくためのアプローチ法が必要になる。
「ほっ」とTimeでは、あらゆる方法で潜在意識へのアプローチを試みている。
インナーチャイルドは多くの人が心の中にいる傷ついた子供といった理解をしているかもしれないけれど、私が20年以上インナーチャイルドのセッションをしてきて感じるのは、決してそれだけではないということ。
確かにインナーチャイルドの表面は、傷ついた子供として現れることが多いが、癒された後その奥から現れてくるのは、天から生かされている命の存在であり、別の言い方をすれば神様の子とも言える存在である。
ゆえにインナーチャイルドと繋がり仲良くするということは、天地自然や神様と仲良くすることと同義であるとも言える。
インナーチャイルドと触れ合うことで心が洗われるような体験をしたり、その後の人生が楽になったり、奇跡のようなことが起こったりするのも、極めて自然なことなのである。
罪悪感を持つことは良くないと言われることがあるけれど、
罪悪感が無ければ、人は感情に任せて容易に犯罪を犯してしまうかもしれない。
罪悪感そのものが悪いわけではなく、
罪悪感を持ち過ぎて自分を壊してしまうことに注意が必要なのである。
偏った見方で自分自身を観ることは、
結果的に自分を成長させてあげられないことにつながってしまうのである。
春は芽吹きの季節
知らぬうちに私たちが心の中にため込んだものも、
芽吹いてくることがある。
心の不調も起こりやすいのがこの季節。
我慢していた気持ちや感情が、
何かのきっかけでニョキッと顔を出し
場合によっては爆発してしまうこともある。
しかしこうしたことになるのは自分がおかしいのではなく、
生きていくためにバランスをとる自浄作用なのである。
どうにかしようとしても、
どうにもならない自分が心の中にいても、
(例えば、やらなければならないことがあるのに、
どうしても今はやりたくないという気持ちがある時など)
そんな自分をダメだと思ったり、
責め立てたりしないで、
ただそうなんだと
認めていくことで、
自分と折り合いがつくようになる。
どんな自分がいても、
自分と折り合いがつくようになれば、
少し気持ちが楽になり、
この先なんとかしていけるように思えてくるだろう。
抱えている問題や悩みに行き詰り、心が疲弊してきたら
時々花を観るようにするとよい。
花を観ることで考えモードから、
感じるモードに意識を切り替えることができる。
花の香りや、美しさを味わうようにしてみる。
沈んでいく夕日は、寂しい心にマッチする。
一日の終わりを夕日と共に感じる時、
何とも言えない感覚が内側から湧き上がってくるかもしれない。
自然との一体感や自分の内側を感じられることは、
生きる力や喜びにつながっていくことがある。