人からどう思われるのかを気にしているより、
自分が相対する人をどう思うのか?
どうあろうとしているのか?
を気にかけた方が、
人間関係を主体的に築いていくことが出来るのではないだろうか?
人からどう思われるのかを気にしているより、
自分が相対する人をどう思うのか?
どうあろうとしているのか?
を気にかけた方が、
人間関係を主体的に築いていくことが出来るのではないだろうか?
思い通りになる人生ばかりが良いとは限らない。
思い通りにならない人生だからこそ、
学べることがたくさん有ったりする。
沢山のことを学んで、あの世に持ち帰る人生というのも決して悪くはない。
現代は人間関係が希薄になっているばかりか、
家族関係でさえ希薄になっている傾向がある。
だからこそ人との心の繋がりが持てずに、
心寂しい人や、見捨てられ不安を抱えた人が増えているのだろう。
或いは自分の世界の中だけに引きこもってしまい、
他者との交流が難しくなったり、
少し仲良くなった一人の人に、やたら執着してしまう人が増えているのかもしれない。
心通じるコミュニケーションが行われる機会を、
どのような形であろうと、増やしていきたいものだ。
何であんなことをしてしまったんだ!
と、嘆いてみても、
やったことは戻ってこない。
何故あんなことをしてしまったのか?の答えは、
そのことに対して無知だったか・・・
何かに囚われていて不注意だったか・・・
感情的になっていたのか・・・
何れにしてもその時は、そうすることが良いと思ったからなのである。
失敗した自分を責めるより、
自分に対して寛容になった方が、
その後適切な対処をすることが、可能になるのではないだろうか。
心を緩めることと、
心に緊張感を与えることでは、
普段どちらを多くしているだろう?
心を緩めようとした時に、
何処までも制限なく緩んでいってしまいそうに感じてしまうのは、
普段心を緊張させていることが、多いからかもしれない。
私達は、本当に大切なことを、最も大切に出来ているだろうか?
ついつい日々の生活に追われてしまっていると、
些細なことばかりに気を取られ、
本来大切にしたいと思っていることが、
いつの間にか手薄になっていることがある。
その結果、あれだけ私は一生懸命やって来たのに、
どうしてこんなことになるの?
という思いを、体験することがある。
このようなことに、ならないようにするには、
普段自分自身が最も大切だと思うことから、
優先的に行うよう心掛けたいものである。
自分に対してストイックになり過ぎていると、
他人に対しても厳しくなることが多い。
どうして人が自分から離れていくのだろう?
と疑問を感じる人の中には、
こうしたことが絡んでいる場合があるかもしれない。
自分が頑張らねば!
自分がやらなければ!
と責任を背負いすぎても、取り組んでいることの結果が良くなるとは限らない。
ひとりの人間が引き受けられる分量や、背負える分量は、
大体決まっているのだから・・・
それをオバーしているなと感じたのなら、
他の誰かに頼んでみるのも悪くない。
だけれど、もし誰にも頼めないのなら、
神様に祈って援助してもらう方法だってある。
神社にお参りをして一心に祈るのも一つ。
そうすれば、神様はあなたに必要な人と、ご縁を結んでくれるかもしれない。
人は誰かと思いを共有したいと思うもの・・・
誰とも分かち合われていない思いが、
心の中に溜まってくると、
モヤモヤ・ウツウツ・イライラ・カリカリが高じてくる。
そんなサインが出てきたら、
もうこれ以上、心の中に思っていることを溜められませんよ!
というサイン。
そんな時は話せる誰かを見つけて、
思っていることを口に出して、
遠慮なく分かち合うことを試みてみよう。
人は自分の人生を受け入れることが出来ないと、
時間の流れを止めてしまうことがある。
自分の人生を受け入れられなくなったその時点から、
心の成長が止まってしまうことがある。
生きている時間に、心の成長が比例しないのは、
こうした理由が存在するからだ。