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お知らせ&心のコラム
2023年心の指針と吉方位神社鑑定講座の感想
【50代女性】
今日はありがとうございました。
まさか涙が出るとは思っておらず、自分でも驚いてしまいました。
長い間に、我慢しすぎて不満が積もりすぎたんですね…。意外なことでしたが、なるほどと腑に落ちて、帰宅したら夫に対して優しい気持ちになれました。
今年は、悪いものを取り除いて、新たな人生をスタートさせる転機になる年ですね。
お誘いいただいて良かったです!
今年がデトックスの年と知り、とても納得しています。というのも、腰痛に続いて肋骨の辺りが痛くなったり、仕事でも、これまで適当に帳尻を合わせていたことが露呈してしまい、責任を改めて痛感する出来事があったんです。
他にも愛猫が急死したり、母の持病の悪化を医師から知らされたり…今年に入って色々なことが起こっています。
今日ご一緒したお二人が暖かい方達で、未だかつてないくらい心地よい分かち合いができました。私のことばかり話してしまっているようで、少し申し訳ない気持ちがしていますが、メンバーに恵まれたことで正直な気持ちを出すことができたのだと思います。
そして示された吉方位神社が鎮座する新潟市は、今年訪ねたいと思っていたんです。早速調べたところ、白山神社のエリアに訪ねたいと思っていた美術館や古い邸宅があることがわかりました。楽しみです!
長くなりましたが、本当にありがとうございました。教えていただいたことを実践していきます!これからもよろしくお願いします。

心の寂しさを埋めようとして
心の寂しさを、忙しさで埋めよとしたところで、その寂しは埋まるのだろうか?
一時はするべきことに追われ寂しさを忘れることはできるだろうが、少しでも空白の時間が出来れば、心は慌てるに違いない。
早く忙しくしないと、またあの嫌な感覚が襲ってくるかもと・・・
そして様々な用事や約束、仕事や趣味や快楽など一生懸命スケジュールを作っては空白の時間を埋めようとする。
そうして忙しい日々を過ごし続け何年か経った頃に、ふと自分の心の内側が何も変わっていないことに気づくことがある。
或いはひっきりなしの忙しさで体を酷使しエネルギーを使い果たし、 心や体がボロボロになって何も出来なくなっていたり、何をするにも気力が湧かないなどということを体験するかもしれない。
何れにしても忙しくし続けたところで心の寂しさは無くなるわけでなく、かえって一生懸命頑張った分、虚しさがプラスされてしまうことさえあるだろう。
自分が心の内に抱えた寂しさは、適切な方法で対処しない限り無くなることはないのである。
まずは自分の心に『何がそんなに寂しくしているのか?』を問うてみたいもの。
そこで得られた答えに真剣に向き合い、何年かかろうがあきらめずに取り組み続けていくことができれば、次第にその寂しさは癒されていく。
人間は誰でもどこかに寂しさを抱えていることが多いもの・・・
だからこそ一人で寂しさを抱え込まずに、 少しずつでも誰かと分かち合いながら癒していきたいものである。
過去が過去になっていますか?
自分の過去を思い出したくないと思うのは、
まだその過去が、過去の体験として消化されていないから。
過去自分に起こった出来事が心の中でしっかりと消化されていれば、それは思い出として心の中に存在するようになる。
過去において自分が体験したことの真実を知り、その時の自分を許し、関わっていた人を許すことが出来れば、過去は過去になっていく。
そうすれば、あの過去のようなことにまたなってしまうのではないか・・・と恐れることも無くなっていく。
そうして自分の過去を愛せるようになり、自分が辿ってきたプロセスが価値あるものに思えてきて、最終的には自分自身を愛せるようになっていくのである。
本当はもっと大切にしたかったこと
心にわだかまりを抱えたまま年を越すのは酷なことかもしれない。
少しでも、小さくても、来年へ向けて希望の光を心に灯していたいもの。
光が見えなくなっているのは、どこかで自分の大切な何かを置き忘れてきたのかもしれない。
人生で起こる辛い出来事の数々は、本当は大切にしたかったことを、自分が見失っていることに気づかせてくれるきっかけなのかもしれない。
自分をコントロールし過ぎてしまうのは?
自分をコントロールし過ぎると、生きるのが辛くなっていくことがある。
自分をコントロールし過ぎると、いつかそのコントロールが効かなくなり、思わぬ方向へ暴走してしまうことがある。
自分をコントロールし過ぎると、他人を自分の思い通りにコントロールしたくなっていく。
人が自分をコントロールし過ぎてしまうのは、どんな理由があるのだろうか?
なぜそこまで自分を管理したがるのだろうか?
自分をコントロールし過ぎてしまう人の心の裏側には、許せない自分が存在していることが多い。
例えば自分の好き勝手にしたい自分や、人をえり好みする自分、本当は甘えたくて仕方ない自分や、とっても幼稚な自分等々、自分にとって好きになれず認めたくない自分が、心の奥に救いを求めてうようよ漂っていたりする。
こうした自分に出てきて欲しくないから、より自分のコントロールを強めてしまうというカラクリがある。また自分の嫌な部分を人に見るから、それをコントロールしたくなるというカラクリもある。
もしどうしても自分をコントロールし過ぎてしまったり、人をやたらコントロールしたくなる自分がいたら、心の底で許されていない自分がいるのではないかと目を向けていきたいものである。